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柏 原 陣 屋 |
兵庫県丹波市(旧柏原町)柏原町柏原 |
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柏原陣屋は柏原市街地の東端、背後を大内山に囲まれ、東から西側になだらかな傾斜地の最高所 山際に築かれた陣屋形式の平城です。陣屋の規模は東西150m×南北170mほど、周囲には堀・土塁は施されず、石塁の上に高塀を巡らした質素な形態だったようです。大手は西側に開き、ここに表御門(長屋門)が構えられていました。内部には表御殿・中御殿・奥御殿等の殿舎、藩政を執り行った御用所、藩校崇広館、厩屋、土蔵、作事所等の建物や、北東隅に稲荷神社が祀られ、馬場や訓練所も敷設されるなど、様々な施設が集められてい
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たようです。現在は表御門(長屋門)と表御殿(規模は当時の5分の1)が残存しています。
元禄8(1695)年、織田信長の次男 内大臣信雄の五男 出雲守高長の流れを汲む大和宇陀藩主 織田壱岐守信休は「宇陀崩れ」の余波を受けて丹波国柏原に転封となり柏原藩を立藩しました。入部当初、信休は藩邸を設けず亀屋忠助の邸宅を仮御殿として利用しましたが、正徳3(1713)年 幕府から藩邸建築の許可を受けて陣屋を造営しました。その後、柏原織田氏は十代 信親まで続き「明治維新」を迎えました。
- 織田信長からの系譜で江戸期に大名として残ったのは、信長の次男 内大臣 信雄の四男 信良(上野国小幡藩⇒出羽国高畠藩⇒天童藩)の家系と五男 高長(大和国宇陀藩藩⇒丹波国柏原藩)の家系の2家のみです。ともに2万石の小大名ですが信長に繋がる家系として幕府から国主並みの待遇をうけていました。
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柏原織田藩の政庁 陣屋 |
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柏原城 |
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近世陣屋 |
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長屋門・復元表御殿 |
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場所はココです |
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兵庫県柏原総合庁舎の駐車場借用 |
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平成19(2007)年3月27日 |
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長屋門(写真左上) 正徳4(1714)年、陣屋とともに造営された表御門で、陣屋内に残る創建当時の唯一の建造物。建物は入母屋造り桟瓦葺き形式、内部の北側に番所、南側に馬見所・砲庫の3室が設けられていました。 |
陣屋表御殿(写真右上) 信休の代の正徳4(1714)年に完成しましたが、文政元(1818)年 火災で焼失、現存する建物は文政3(1820)年頃に再建されたものです。 |
柏原織田家廟所 (写真左) |
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