関 神 館
秋田県鹿角市(旧十和田町)十和田大湯字関上
立地・構造
 関神館は鹿角盆地の中央東寄り、大湯川右岸の河岸段丘先端(比高30m)に築かれた単郭の崖縁城です。規模は100m四方ほど、北ー東ー南側は段丘崖で画され、西側の丘陵続きを堀で断ち切って城域を独立させています。また東ー南側下に幅2−3mの帯郭が巻かれ、現在 本郭に八幡神社が祀られています。本郭からは大湯川沿いの狭い沖積平野や、三戸から鹿角に繋がる鹿角街道が一望にできます。

 築城時期は不明。『鹿角由来集』「一、関神村 関神安房領 本名成田 館有」と記され、館主は鎌倉中頃 鹿角郡に地頭職として入部した「武蔵七党 横山党」 成田氏の庶子家 関神氏と思われます。鹿角郡に入部した成田氏は当麻城を拠点に庶子家を領内各所に分知し、大湯川北岸を惣領支配したとされます。室町後期以降、鹿角は三戸南部氏の影響力を受け、天文年間(1532−55年)初期 南部右馬頭政康は鹿角支配を強固なものにするため、五男の靱負佐秀範を「鹿角郡代」として毛馬内に送り込んでいます。関神氏の事績、消息は不明。
歴史・沿革
関神館 本郭に祀られる八幡神社
メモ
「鹿角四頭」 成田氏の庶子家 関神氏の館城
形態
崖縁城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年5月23日 令和2(2020)年11月26日
関神館は大湯川に面した断崖上に築かれた崖縁城です。(写真左上ー南西側からの遠景 写真右上ー東麓からの近景) でっ、関神館へは関上地区の東端に八幡神社の鳥居が建てられ、ここからアプローチできます。(写真左) 参道は段丘縁に敷設されたもので(写真左下)、途中の稜線に堀切祉が見られます。(写真右下) ちなみに大手は西側稜線からのルートが想定されます。
本郭(写真左上) 規模は80m四方ほど、現在 八幡神社が祀られています。(写真右上) 現在の社殿は寛永年間(1624−45年)に創建されたもの。でっ、東ー南側下に幅2−3mの帯郭が巡らされています。(写真右ー東側の帯郭)