岩 鼻 館
山形県最上郡戸沢村蔵岡字岩花
立地・構造
 岩鼻館は最上川と鮭川が合流する沖積平野の西部、北から南方向に張り出した舌状台地(比高10m)に築かれた単郭構造の平山(崖縁)城です。規模は東西150m×南北100mほど、館の東ー南ー西側は高さ10mの段丘崖で画され、北側の丘陵続きを堀で仕切っていたと推測されます。現在、館祉は宅地化等により改変され、遺構としては北東隅に土塁の一部が残存するのみ。同地は鮭川沿いの沖積平野を望む高所に位置します。

 岩鼻館は天文年間(1532−55年)、沼館城主 小野寺左衛門佐稙道の客将
佐々木(鮭延)典膳貞綱が小野寺氏の南進政策の一環として最上郡に侵入した際、拠点として築いたと伝えられます。その後、貞綱は最上郡の支配をめぐり清水氏、大宝寺武藤氏と対峙しましたが、永禄8(1565)年 最上郡に侵攻した尾浦城主 大宝寺義増に敗れ、このため真室に拠点を移したとされます。天正9(1581)年、貞綱の嫡子 越前守秀綱は最上出羽守義光の攻撃を受けて降伏しましたが、その後 ふたたび蔵岡に所領を得て、家臣の井上将監を岩鼻館に配したと伝えられます。
歴史・沿革
岩鼻館 北東端の残存土塁
メモ
鮭延氏、最上郡入部当初の館城
形態
平山城(崖縁城)
別名
岩花館・穴館城
遺構
郭(平場)・土塁
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成22(2010)年5月17日
岩鼻館は最上川の北岸、岩花集落を包括する舌状台地に築かれた単郭構造の平山城です。(写真左上ー東側からの遠景) 丘陵は北から南方向に張り出し、東ー南ー西側は高さ10mの断崖になっていて、現在 築堤が築かれている西側はもともと沢だったのでしょう。(写真右上ー東側の段丘崖 写真左ー西側の沢) でっ、内部は一般の民家敷地、農地になっていて(写真左下)、北東端にL字状に折れ曲がった土塁が確認できます。(写真右下) 土塁の規模は下幅7−8m×高さ3m、土塁上に小社が祀られています。
(写真左上・右上) 北東端に残存する土塁と土塁上に祀られる小社
長林寺(写真右) 岩花集落から最上川を挟んだ対岸の蔵岡集落にある鮭延氏の菩提寺。後年、大宝寺武藤氏、清水氏との抗争が激化すると真室に移されたと伝えられます。ちなみに長林寺背後の丘陵上に薬師館と称される鮭延氏の城砦があります。
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