鶴 姫 の 墓 碑
秋田県由利本荘市(旧鳥海町)鳥海町下川内矢ノ本
 鶴姫は戦国末期の「由利十二頭」のひとり 矢島大井満安の息女と伝えられます。天正年間(1573-93年)末期、父 満安は敵対する仁賀保兵庫頭挙誠(きよしげ)との抗争に敗れ潜居先の西馬音内で自刃しました。そして鶴姫は仁賀保方に捕えられましたが、慶長5(1600)年 「関ヶ原の戦」が起こると矢島大井氏旧臣は上杉に誼を通じて挙兵すると、鶴姫を奪還して笹子(じねご)赤館に立て籠りました。しかし乱は出羽衆により鎮圧され、慶長8(1603)年 楯岡豊前守満茂が由利に入封すると 矢島を宛がわれた満茂の弟 長門守満広は領内安定のため鶴姫を娶りました。元和8(1662)年、最上家は「最上騒動」により改易となり、満茂・満広兄弟は前橋酒井藩に預けられました。そして鶴姫は晩年を父 満安が最後まで立て籠った荒倉館の麓 元弘寺に庵を結んで満安の菩提を弔ったとされます。(場所はココです)
墓碑・五輪塔 
鶴姫戒名
「芳山妙月大姉」
荒倉館 
荒倉館の南麓 子吉川に面した段丘上には楠木氏により創建された元弘寺があったとされます。そして鶴姫は晩年、ここに庵をくんで満安の菩提を弔ったとされます。