高 寺 城
秋田県雄勝郡羽後町新町高寺
立地・構造
 高寺城は湯沢盆地の北西部、七高山(標高303m)から東方向に延びた稜線突端(標高190m 比高110m)に築かれた山城で、頂部の主郭・二の郭と北東・南東方向に延びた稜線を階段状に加工した郭群からなります。主郭は東西30m×南北10mほどの小郭で基本的には物見として機能していたと思われます。二の郭主郭の東側下10mに位置し規模は東西70m×南北30mほど、この二の郭から尾根は北東・南東側に分岐し、それぞれ地形に即した形で段郭群に加工されています。大手筋は東麓の龍泉寺背後の尾根先から南東側稜線を辿り主郭に繋がるコースが想定されます。高寺城は居住空間を有した館城と推測され、東麓に想定される家臣屋敷地を外郭とし、高寺川を外郭ラインとして防御ラインに取り込んでいたと推測されます。

 築城時期・築城主体ともに不明。城主は『奥羽永慶軍記』(客観的な史料ではありませんが ・・・・・)に記された天正14(1586)年の「有屋峠の戦」に出陣した高寺甲斐守道愛、あるいは同16(1588)年の「小野寺秋田ト合戦ノ事」に記された高寺甲斐守道近と推測されます。また『山内六ヶ村由来記』に城主として小野寺飛騨守と見え、高寺氏は西馬音内小野寺氏の庶子家が分知され土着した在地領主と推測されます。文禄4(1595)年から開始された最上氏の「雄勝侵攻」により陥落。
歴史・沿革
高寺城 東側からの遠景
メモ
高寺小野寺氏の館城
形態
山城
別名
 ・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・土塁?・堀
場所
場所はココです
駐車場
林道の迂回スペースに路駐
訪城日
平成20(2008)年4月20日
高寺城は高寺地区西方の丘陵突端に築かれた山城です。(写真左上ー東側からの遠景) でっ、東麓に高寺氏が建立したと伝えられる龍泉寺があり、往時 このあたりに家臣屋敷地が設けられていたようです。(写真右上) でっ、高寺城へは主郭南東側の中腹まで林道(未舗装)があり、車両でも充分通行可能です。がっ、管理人は南東側から稜線へ直登しました。(写真左) 稜線上に2−3mの段で区画された郭が連続し(写真左下)、じきに二の郭に辿り着きます。(写真右下) 二の郭の規模は東西70m×南北30mほど、思ったより広い平場で居住性は充分にあります
二の郭・主郭間は高低差10m以上あり、北側に尾根を削り残したと思われる土塁?が二の郭の北西縁をカバーしています。(写真左上・右上)
主郭(写真右) 規模は東西30m×南北10mほど、もともと物見として機能していたと想定されます。でっ、内部には石祠が祀られています。背後は4−5m切り落とした堀で処理され(写真左下)、南側稜線も浅い堀で処理されています。(写真右下)
二の郭から南東・北東方向に尾根が分岐していますが管理人は北東側稜線から下山しました。でっ、最上段の郭は二の郭から20m下に位置し、規模は東西60m×南北30mほど、2mの段差で同規模の郭がもう1段 敷設されています。(写真左上) ここから先端部分は急斜面になっているため、5−8mの切岸で区画された小郭が6−7段配置されています。(写真右上) 最大の切岸は10m以上。(写真左下)
秋田の中世を歩く