光 教 寺
愛媛県西予市(旧宇和町)宇和町卯之町
 正式名称は「清泰山 光教寺」。宗派は臨済宗妙心寺派、御本尊は釈迦如来。創建は文永年間(1264-75年)、宇和荘を領有していた西園寺氏により、松葉山城山麓に開基されたと伝えられます。その後、光教寺は天文年間(1532-55年)、西園寺左近衛少将実充(さねみつ)が松葉城から黒瀬城に拠点を移した際、黒瀬城下に移されました。そして万治年間(1658-61年)、光教寺は現在地に移されました。なお現在の本堂・庫裏は天保年間(1830-44年)の再建とされます。(場所はココです)
山門 
本堂 
西園寺公広の廟所
西園寺公広は伊予西園寺家 最後の当主です。公広は天正15(1587)年、検地に対する一揆を扇動したとの猜疑をかけられ、所領安堵を餌に大洲城主 戸田勝隆の招きに応じて大洲へ出向き 大洲で謀殺されました。
<公広の辞世の句>
「黒瀬山 峰の嵐に 散りにしと 他人には告げよ 宇和の里人」
(写真下) 光教寺から黒瀬城を望む 
ー 卯之町は近世、宇和島藩の在郷町 宿場町として栄えていました ー
開明学校
明治15(1882)年、町民の寄付により建築された洋風小学校校舎。平成9(1997)年、国の重要文化財に指定。
末光家住宅
明和7(1770)年、建築された造り酒屋。内部に回転式の格子戸、蛇腹式すり戸、収納階段、軒下のひじ等が残っているようです。
池田家住宅 鳥居門
天保5(1834)年、庄屋 鳥居半兵衛兼利により建築された門。
旧武蔵(屋)
明治期に建築され「武蔵」という屋号で商いをしていたため「旧武蔵」と呼ばれています。
高野長英の隠家
高野長英は江戸後期の医師、蘭学者です。長英は天保10(1839)年、「蛮社の獄」により収監されましたが、弘化元(1844)年 牢屋敷の出火にあわせて脱獄し、その後 二宮敬作を頼って卯之町に身を隠しました。