等 覚 寺
愛媛県宇和島市野川甲
 正式名称は龍華山(りゅうげさん) 等覚寺」。宗派は臨済宗妙心寺派、御本尊は釈迦如来。宇和島伊達家の菩提寺です。創建は元和4(1618)年、宇和島藩初代藩主 伊達遠江守秀宗が母堂の菩提を弔うため開山したとされます。開山当初、等覚寺は母堂の法号 「白雲山 龍泉寺」と呼ばれていましたが、万治4(1658)年 秀宗が死去し墓所が造営されると、寺号は秀宗の戒名から「浄妙山 等覚寺」に改称され、さらに宝永7(1710)年 山号は「龍華山」に改められました。境内に宇和島伊達家の墓所が敷設されています。(場所はココです)
山門 
現在の山門は明治27(1894)年の再建。
本堂 
初代 遠江守秀宗の墓所 
初代 遠江守秀宗の墓碑 
<秀宗の戒名>
等覚寺殿拾遺義山常信大居士
秀宗の墓碑の左隣に江戸藩邸で殉死した宮崎八良兵衛と高島太良右衛門の墓碑が並んでいます。 秀宗の墓碑の右隣に宇和島で殉死した神尾勘解由と渡辺藤左右衛門の墓碑が並んでいます。
二代藩主 大膳大夫宗利の墓碑
<宗利の戒名>
天梁院殿賢山紹徳大居士
三代藩主 遠江守宗贇(むねよし)の墓碑
<宗贇の戒名>
大玄院殿天山紹光大居士
四代藩主 遠江守村年の墓碑
<村年の戒名>
泰雲院殿宗山紹沢大居士
六代藩主 大膳大夫村寿(むらなが)の墓碑
<村寿の戒名>
南昌院殿前遠州太守羽林壽山紹慎大居士
八代藩主 大膳大夫宗城(むねなり)の墓碑
<宗城の戒名>
靖国院殿藍山維城大居士
桑折家の墓所
桑折氏は伊達の庶子家で伊達譜代。宇和島転封後、生誕した桑折宗臣(むねしげ)は秀宗の四男で後に宇和島藩の家老職をつとめています。