館 山 館
秋田県男鹿市(旧若美町)若美町鵜木
立地・構造
 館山館は八郎潟の西岸、沢に画され南から北方向に突き出した丘陵先端(比高20−25m)に築かれた丘城です。規模は東西90m×南北120mほど、南側の丘陵基部を堀で断ち切った単郭構造(副郭以上?)の城館と思われます。同地の東麓に男鹿ー檜山を結ぶ潟西街道が通り、また往時 八郎潟の湖岸線は館の東麓まで入り込んでいたと推測され、館は八郎潟沿岸の水陸交通を扼する要衝地だったと思われます。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。在地の開発領主の日常居館か?。なお道村永源寺に南北朝期の板碑が残っていますが、館山館との関連は不明。
歴史・沿革
館山館 南側の堀
メモ
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形態
丘城
別名
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遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
館山運動公園の駐車場
訪城日
平成18(2006)年9月14日 令和3(2021)年4月2日
館山館 南堀
館山館は八郎潟西岸の丘陵上に築かれた丘城です。(写真左上ー北東側からの遠景) でっ、現在 館祉の南側丘陵は運動公園になっていて 公園の北端に史跡標柱が建てられています。(写真右上) 館山館はこの史跡標柱背後(北側)にあり堀で区画されています。(写真左) 堀の規模は幅10−15m×深さ4−5mほど、丘陵部を分断した大規模なもの。でっ、館の南縁は優位性を補完するため幅広の土塁が構築されています。(写真左下) 内部はほぼ平坦になっていますが、一部 藪化しているため内部を徘徊できず。(写真右下)
館山からは八郎潟を挟んで対岸に森山が確認できます。往時、八郎潟の湖岸線は館山の東麓まで入り込んでいたと思われます。
 
秋田の中世を歩く