上時国家は奥能登 曽々木海岸に近い町野町南時国にある江戸末期の庄屋住宅です。時国家の祖は平安末期、平家の栄華を讃えて「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」と発言した平権大納言時忠と伝えられます。元暦2(1185)年、「壇ノ浦」で捕縛された時忠は その後、能登国大谷に配流され、時忠の五男 時国の家系が時国家を称しました。近世初期、時国村は越中布市土方藩領と加賀前田藩領に分割され、時国家もまた土方領の上時国家と前田領の下時国家のニ家に分立します。しかし貞亨年間(1684-88年)、布市藩が改易になると布市藩領は天領(幕府直轄領)に組み込まれ、上時国家は時国村の天領庄屋をつとめました。現在の上時国家の母屋は江戸末期の天保2(1831)年、28年の歳月をかけて竣工したもので、桁行十六間(約29.1m)×梁間十間(約18.1m)の大規模住宅です。構造は一部二層の入母屋造り、茅葺。正面玄関は総欅の唐破風造りになっています。内部は表向きに公務用の座敷が、裏面に私用の部屋が配されていました。平成15(2003)年、国の重要文化財に指定、庭園は国の名勝。(場所はココです) |