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船越御所は船越半島基部の小丘陵(比高15−20m)に築かれた丘城です。城の規模は東西60m×南北130mほど、城の周囲は10−15mの段丘崖で画され、北東側の丘陵続きを堀で断ち切り城域を区画しています。また北西ー西側は現在、埋め立てられていますが、往時は海浜に繋がる湿地帯になっていたと推測され、船越御所は自然の要害地形を利用し、最低限度の土木量で構築されたものと思われます。 |
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船越御所は『津軽古今雑記類纂』によると、貞和3(1347)年の霊山城落城後、鎮守府将軍 北畠顕家の遺児 顕成が稗貫から船越に遁れてきた際、船越の在地領主 船越氏が南朝方に与していたため、顕成庇護のために築いたとされます。そして顕成は応安6(1373)年、浪岡に移るまでこの地に滞在したと伝えられます。 |
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丘城 |
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東館 |
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場所はココです |
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路上駐車 |
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平成17(2005)年6月22日 |
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船越御所は船越湾に面した小丘陵に築かれた丘城です。(写真上) でっ、城の南側は船越湾に面し、西側は現在、埋め立てられていますが湿地帯だったと推測されます。(写真左)
周囲は高さ10−15mの段丘崖で仕切られ(写真左下)、唯一 丘陵部が繋がった北東端は堀切で断ち切られていたようです。(写真右下) なお内部は鬱蒼とした藪々になっているため入っていませんが、南端に小祠が祀られていました。(社名不詳) |
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