八 森 城
秋田県由利本荘市(旧矢島町)矢島町館町、城内
立地・構造
 八森城は矢島盆地の中央西端、西から東方向に張り出した舌状台地先端(比高20m)に築かれた平山城です。城の規模は東西230m×南北150mほど、城は築城当初、物見砦(60m四方ほど)として築かれたものを近世 陣屋構造の城郭に拡張整備されたものと思われます。規模は東西150m×南北150mほど。陣屋はいたってシンプルな構造で防御パーツは西側に設けられた濠のみ。濠の西側 明治四年家中絵図
『明治四年 家中絵図』
外郭を兼ねたと思われる家臣屋敷地が構えられ、丘陵上を「惣構」にしていたと思われます。「惣構」の規模は東西500m×南北350mほど、「惣構」の大手は南西側に設けられた「表門」で、ここから城下に繋がり また「表門」からの大手導線は城内大路を経て陣屋の大手門に繋がっていました。

 築城時期・築城主体ともに不明。一説に応仁2(1468)年、矢島に入部した大井義久が本城 根城館の出城として築いたとも。(矢島大井氏の由利入部は応仁以前と推測されていますが ・・・・・) 戦国末期、矢島大井氏滅亡後 八森城山根館主 仁賀保氏が城代を置いて管理していましたが、慶長5(1600)年の「関ヶ原」後、由利郡は最上領となり矢島に由利の支配を任された楯岡豊前守満茂の弟 長門守満広が入封しました。しかし元和8(1622)年、最上家が「最上騒動」により改易になると、楯岡満広は上州酒井藩にお預けとなり、翌9(1623)年 矢島に常陸国新宮から打越左近光隆が入封しました。しかし寛永12(1635)年、左近光久が嗣子なく急死したため打越家は改易となり、同17(1640)年 矢島に讃岐国高松から生駒壱岐守高俊が入封し、「明治維新」まで生駒氏が在城しました。慶応4(1868)年、「戊辰戦争」が勃発すると矢島藩は当初 「奥羽列藩同盟」に加担しましたが、その後 同盟から離脱して新政府軍に加担したため、同年7月28日 矢島陣屋は佐幕派の庄内藩の攻撃を受けて焼失しました。明治4(1871)年、「廃藩置県」により廃城。
歴史・沿革
八森城 大手の濠祉
メモ
中世 ー 「由利十二頭」 矢島大井氏の出城
近世 ー 矢島生駒藩の藩庁
形態
平山城(近世陣屋)
別名
八森陣屋・矢島城・矢島陣屋
遺構
郭(平場)・虎口・濠
場所
場所はココです
駐車場
由利本荘市役所矢島支所の駐車場借用
訪城日
平成18(2006)年11月3日 平成24(2012)年6月25日 令和3(2021)年5月18日
八森城 遠景
八森城は矢島盆地の中央西端、西から東方向に張り出した丘陵先端に築かれた平山城です。(写真左上・右上) 現在、城址の大部分は矢島小学校の校地になり、先端の高所部分に矢島神社、矢島招魂社が祀られています。でっ、矢島小学校の西側に段丘面が広がり、往時 ここに家臣屋敷地が設けられていましたが(写真左)、この部分は八森城外郭と捉えられ、段丘上を「惣構」にしていたものと思われます。でっ、外郭の南西隅に「表門」が構えられ(写真左下)、大手導線はここから城内大路を経て陣屋の大手門に繋がっていました。(写真右下ー城内大路)
八森陣屋の西側には縦横に交錯する大路小路が敷設され、家臣の屋敷地が設けられていました。でっ、現在の車道はこの大路小路を踏襲したものなのでしょう。なお大路小路には城下町特有の「鍵折れ」は見られず、ケッコウ遠くまで見渡すことができます。
(写真左上) 旧楊小路祉  (写真右上) 旧桜小路祉  (写真右) 旧山本大路祉  (写真左下) 旧竹小路祉  (写真右下) 藩学日新堂祉
八森城 濠
八森城 濠
陣屋内部は現在、矢島小学校の校地になっているため内部に入ることはできませんが(写真左上)、西縁に往時の濠と大手門祉が残存しています。(写真右上・左ー濠祉 写真左下ー大手門祉碑) 濠の規模は幅6−7m×長さ60mほど、濠は丘陵上を完璧に断ち切ってはおらず、鉄砲での戦闘が主流となった近世城郭としては非常に貧弱なもの、濠の機能が形骸化した頃に敷設されたものなのでしょう。(あるいは一種のファッションか?) なお小学校の東端に矢島神社、矢島招魂社が祀られる高所がありますが、たぶんここが中世の矢島大井氏時代の出城だったのでしょう。(写真右下)
旧佐藤政忠家住宅(写真左上) 明治2(1869)年に建てられた武家住宅。「戊辰戦争」の際、陣屋・城下とともに焼失しましたが、その後 再建されました。
八森苑(写真右上) 生駒氏の重臣 佐藤氏が明治10(1877)年頃、武家屋敷と明治大正期の近代和風的要素を取り込み建設した木造和風住宅。
(写真右) 竜源寺山門
竜源寺(写真左上ー本堂) 元和9(1623)年、矢島に入封した打越左近光隆が打越氏の菩提寺として開基した寺院。打越氏改易後、矢島に入封した生駒氏の菩提寺となり、境内に初代藩主 壱岐守高俊の墓所が置かれています。(写真右下)
ー 動画 矢島陣屋を歩く ー
秋田の中世を歩く