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熊の子沢館は鳥海山から北東方向に張り出した稜線(段丘)突端(比高25−30m)に築かれた平山城で、南側の稜線を二重堀で仕切って館を区画していたと思われます。館の規模は推定 東西150m×南北100mほど、内部は低い段差で区画された東西の2段構造と推測されます。内部からは礎石や須恵器が確認され、近場に「矢場」「馬場」、集落内に「寺屋敷」「やき場」と伝えられる場所があるようです。現在、東側の平場は水田に開墾され、西側は雑木林 |
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、荒地になっています。南側の二重堀は未確認。
築城時期・築城主体・館主ともに不明。伝承によると落人が拠した館とも。また一説に嘉祥3(850)年、美濃国土田村からこの地に移住して鳥海山矢島口の道者道を開いたと伝えられる比良衛、多良衛兄弟の子孫が拠した居館とも。 |