|
真壁館は横手盆地の北東部、横手川左岸の河岸段丘上(比高4−5m)に築かれた平城です。城の規模は推定 東西140m×南北130mほど、北側を横手川に面した段丘崖で画し、東ー南ー西側を人為的な堀で区画した複郭構造の方形館だったようです。内部は東、西、南側の3郭からなり、それぞれ堀で仕切られ、北東側の郭が主郭、北西側の郭が二の郭とされ、主郭・二の郭の外側の両隅に角櫓が構えられていたと伝えられます。また南側の郭に「桐 |
 |
木屋敷」「大学屋敷」の地名が残っており、家臣、給人の屋敷地が配されていたと思われます。
築城時期・築城主体ともに不明。館主は小野寺氏の勢力下にあった村落領主 真壁氏と伝えられます。真壁氏の出自・事績は不明、『奥羽永慶軍記』(客観的史料でないため あまり使用したくないのですが ・・・・・)によると館主と思われる真壁対馬守は天正14(1586)年の「有屋峠の戦」に出陣して討死したとされます。また同18(1590)年10月の「太閤検地」の際、大谷刑部吉継が小野寺義道に交付した「仙北上浦郡指出目録」に「さかい 真壁内膳分」と記されています。 |