由利高原鉄道 各駅撮影の旅
由利本荘市羽後本荘駅ー矢島駅
歴史・概要
 「由利高原鉄道」は旧国鉄矢島線を引き継いだ第三セクター形式の鉄道会社で、鳥海山麓線を運営しています。営業距離は23km。大正4(1915)年、横手と本荘を繋ぐ「横荘鉄道」(羽後交通)に鉄道免許がおり、同11(1922)年8月に羽後本荘 ー 前郷間(「横荘鉄道」西線)が開業。昭和12(1937)年9月、国鉄が「横荘鉄道」西線を買い取り、同年12月 前郷 ー 西滝沢間を延伸。翌13(1938)年10月、西滝沢 ー 矢島間を延伸開業して現在の鉄道路線となっています。もともと「改正鉄道敷設法別表第15号」(大正11 1922年4月11日公布・施行)では「秋田県本荘ヨリ矢島ヲ経テ院内ニ至ル鉄道」を計画していましたが院内への延伸計画は着手することなく消滅し、昭和60(1985)年10月 国鉄 矢島線は廃止され、第三セクターの由利高原鉄道 鳥海山麓線として開業されました。
由利高原鉄道(株)公式HP http://www.obako5.com/ 
羽後本荘駅(写真左上) JR羽越線に接続する鳥海山麓線の起点駅。一応、切符売り場と改札はJRと別個になっていますが、ホームに入ると一緒です。(写真右上)
本荘市は近世六郷本荘藩の城下町として繁栄した町。このため市内には本荘城永泉寺など、六郷氏に関連した史跡が散在しています。(写真左ー本荘城の堀 写真左下ー永泉寺 写真右下ー六郷家の墓所)
薬師堂駅(写真左上) 羽後本荘駅から2.2km
子吉駅(写真右上) 薬師堂駅から2.3km、駅舎は旧国鉄から由利高原鉄道に移管された際、無人化され 現在は玉ノ池簡易郵便局が入居しています。
鮎川駅(写真右) 子吉駅から2.8km、同地は中世 「由利十二頭」 鮎川氏の根拠地で、駅舎背後(南側)の丘陵上に山崎館・蒲田館があり(写真左下)、また山崎館から鮎川を挟んだ西方に鮎川氏の与力 淵名氏の祈願所 瑞光寺があります。(写真右下)
黒沢駅(写真左上) 鮎川駅から2.1km
曲沢駅(写真右上) 黒沢駅から0.8km、由利高原鉄道開業後、設置された駅舎。なんでこんなところに設置したのかな 〜〜〜 っと思うような水田の中にポツ 〜〜〜 ンとあります。
前郷駅(写真左) 曲沢駅から1.3km、「横荘鉄道」建設の際 ここから横手に繋がるはずでしたが、国鉄買収後 鉄路は院内方向に変更されました。(結局、繋がりませんでしたが ・・・・・) 前郷は近世滝沢城(写真左下)の城下として整備された町で街路は往時のものを踏襲しています。また城下に滝沢氏の菩提寺 慶祥寺があります。(写真右下)
久保田駅(写真左上) 前郷駅から1.9km由利高原鉄道開業後、設置された駅。
西滝沢駅(写真右上) 久保田駅から2.1km
吉沢駅(写真右) 西滝沢駅から1.3km、由利高原鉄道開業後、設置された駅。水田の中にポツ〜〜〜ンとあります。
川辺駅(写真左下) 吉沢駅から2.9km
矢島駅(写真右下) 川辺駅から2.9km、鳥海山麓線の終着駅。旧国鉄時代の買収後、鉄路はここから院内に延びる計画だったのですが ・・・・・、駅舎に隣接して由利高原鉄道の本社が置かれています。
(写真左上) 矢島駅ホームのYR3001系軽快気動車
矢島町は中世 「由利十二頭」の有力国人 矢島大井氏の拠点、また近世には幕府旗本 打越氏、生駒氏の陣屋が置かれ、町内各所に関連する遺構が残存しています。(写真右上ー八森城 写真左ー八森城の濠 写真左下ー打越氏・生駒氏の菩提寺 龍源寺 写真右下ー生駒藩初代高俊の墓碑)
(写真左上) 矢島大井氏の本城 根城館
(写真右上) 矢島大井氏の与力 根井氏の館城 根井館
(写真右下) 高建寺にある大井五郎満安の墓碑、墓碑には皇紀2603年と記されていることから、昭和18(1943)年に建てられた新しいもののようです。
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