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鳥海山大物忌神社 吹浦口の宮 |
山形県飽海郡遊佐町吹浦字布倉 |
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創建は景行天皇または欽明天皇の御代と伝えられ、『日本三大実録』貞観十三年五月十六日の条には出羽国司の報告の中に飽海山上に大物忌神社があることが記されています。また延長五年の『延喜式神名帳』により大物忌神社は名神大社とされ大和朝廷の庇護を受け、その後 出羽国一の宮となり、南北朝期の延文3(1358)年 南朝方の陸奥守・鎮守府将軍 北畠顕信が寄進書を出羽一の宮に奉書しています。中世以降、鳥海修験は神仏習合となり、登り口の吹浦、蕨岡、小滝、矢島の4ヶ所にそれぞれ宗徒が集まりました。そして吹浦の宗徒は鳥海山山上の大物忌神社を吹浦に遷座し、また月山神を勧請して両所宮と称しました。しかしこのため山上の本宮に奉仕していた蕨岡の宗徒と反目し、承応3(1654)年 庄内藩と幕府寺社奉行に訴えが出されました。裁定は翌明暦元(1655)年に下され、以後 山上本宮の奉祀及び建替や嶺境争い等 山上に関連した論争に吹浦は関与できなくなり、また一の宮の名称も差し止められました。明治元(1868)年、神仏分離令により神宮寺は廃され、同4(1871)年 吹浦宮は国幣中社に指定されましたが、明治14(1881)年 山上の本宮が国幣中社に指定し直されたため、登り口の吹浦と蕨岡の社殿は「口之宮」に定められました。昭和30(1955)年、社名は三社併せた総称として「鳥海山大物忌神社」へと改称。平成20(2008)年、国の史跡に指定。御祭神は大物忌神・月山神(両所宮)。(場所はココです) |
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