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中屋敷館は高松川下流域の中山間地、宇留院内川右岸の北から南方向に張り出した丘陵先端(標高268m 比高100m)に築かれた山城で、背後を堀で断ち切って城域を区画しています。規模は東西150m×南北250mほど、城縄張りは南北に細長い稜線を加工した主郭と主郭の東・西斜面に敷設された帯郭、北・南側に敷設された郭群、南東側稜線を加工した段郭群からなり、段を基調としたシンプルな構造になっています。主郭の規模は東西30m×南北60mほど、西側斜面は畝状竪堀で潰され、東側斜面は横堀で防御ラインを構築されています。大手筋は南西方向の尾根道が想定され、本城域に入る手前に二重堀、竪堀が普請されています。同地は高松川下流域を眺望できる高所に位置します。
築城時期・築城主体ともに不明。菅江真澄の『雪の出羽路』に「古柵の跡、館山讃岐守某の居館といへり、館ある山てふ事にて館山てふ事にや、また館山氏たらむか。井戸が沢といふに其世の古井あり」と記されていますが、小野寺氏の被官に館山氏と呼ばれる家臣はおらず、この周辺を所領としていた小野寺氏の被官 八乙女氏あるいは御返事氏の城館と推測されます。同地は鎌倉中期、雄勝郡に入部した小野寺氏が拠点とした稲庭城へ 高松川流域から宇留院内峠を越えて繋がる峠口にあたることから、小野寺氏譜代が入部した可能性があります。遺構として畝状竪堀が残存していることから戦国末期まで使用されていたと思われます。 |
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山城 |
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郭(平場)・堀・畝状竪堀・土橋 |
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場所はココです |
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路上駐車 |
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平成20(2008)4月25日 |
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中屋敷館は宇留院内川北岸の丘陵上に築かれた山城で(写真左上ー南西側からの遠景)、南麓に居館が設けられていたようです。(写真右上) がっ、居館祉は甫場整備等で遺構は消滅しています。でっ、中屋敷館へは南麓を西流する宇留院内川を渡り(写真左下)、直接登るしかないようです。管理人は南東麓から直登を開始し(写真中下)、急斜面を約60−70mほど樹木にしがみつきながら登りました。(写真右下)
でっ、下山は南西側尾根から降りましたが、こちらの方が尾根が緩斜面になっているぶん登り易いかもしれません。 |
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でっ、南東側斜面を登り最初に見られる遺構が横堀になります。(写真左上) 規模は幅3m×長さ30mほど、上部は主郭から南東方向に延びた稜線を加工した段郭群になります。(写真右上) |
主郭(写真左) 規模は東西30m×南北60mほど、内部は雑木で相当 荒れているため形状はよくわかりませんが、北と南側に0.5−1mの段で区画された腰郭が1段ずつ敷設されています。さらに東側に1段、西側に2段帯郭が巻かれています。(写真左下)
また北側稜線は幅4−5mの堀で切られ土橋がかけられています。(写真右下) |
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主郭の西側斜面は相当な急斜面になっていますが、ここに畝状竪堀が22条(数えました ・・・・・)敷設されています。(写真左上) また大手筋が想定される南西側稜線に尾根道を狭める竪堀や(写真右上)二重堀が敷設されています。(写真右) |
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