関 口 城
秋田県湯沢市関口
立地・構造
 関口城は湯沢盆地の南東部、雄物川右岸の東から西方向に突き出した丘陵突端(標高234m 比高110m)に築かれた山城で、北・南側は沢に落ち込む急峻な断崖、東側の丘陵基部を三重堀で断ち切って城域を独立させています。規模は東西300m×南北250mほど、城縄張りは頂部に構築された主郭を中心に、北ー西ー南側斜面に段郭群を敷設した階郭構造で構築されています。主郭の規模は東西80m×南北40m、中腹の八幡神社境内は東西50m×南北60mほど。大手は西麓からのルートが想定されます。なお雄物川を挟んだ対岸には上の宿館があり、両城で湯沢に繋がる谷口を扼していたものと思われます。

 築城時期・築城主体ともに不明。城主は小野寺氏の被官 細川氏(関口氏、佐々木氏)と伝えられます。文禄4(1595)年、最上氏の雄勝進攻が本格化すると関口氏は最上氏に内応したとされ、最上氏の雄勝制圧後 関口城に最上氏の被官 伊良子大和守が据えられました。
歴史・沿革
関口城 南麓からの遠景
メモ
小野寺氏の被官 関口氏の「要害」
形態
山城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・虎口・堀祉
場所
場所はココです
駐車場
八幡神社の鳥居前に空地あり
訪城日
平成18(2006)年11月19日
関口城は湯沢市街地の南方、関口地区背後の丘陵上に築かれた山城です。でっ、城へは西麓の八幡神社鳥居からアプローチします。(写真左上) でっ、八幡神社は城山の中腹に鎮座し、参道は比高差70mの斜面に敷設されています。(写真右上) で、参道沿いに いくつか郭らしき平場が見られますが、往時の遺構かは不明。(写真左・左下) 八幡神社境内は東西50m×南北60mほど、関口城の郭のひとつだったのでしょう。(写真右下) もしかしたら、ここに日常居館があったのかも。
八幡神社境内の南側には数段の段郭が見られ(写真左上ー写真では?ですが ・・・・・)、また東側の主郭間にも3−4段の段郭群が敷設され(写真右上)、そのうちの一段に現在 林道が敷設されています。(写真右) でっ、林道主郭の西⇒南廻り込んでいて(写真左下)、南側切岸上に主郭虎口が設けられていたようです。(写真右下ー
主郭(写真左上) 規模は東西80m×南北40mほど、南西端に虎口を兼ねた小郭が1段 配置され、北側は沢が切り込んだ急峻な断崖になっています。(写真右上) また北東ー東側に幅10mの腰郭が敷設されています。(写真左)
主郭背後(東側)の稜線鞍部は三条の堀切で遮断されていたようですが、・・・・・ 林道敷設で完全に消滅しています。(写真右)
 
秋田の中世を歩く